個人の夢・社会のカ

子どもが学ぶべき知識の量を定め、教科に分類してカリキュラムに固定し、それに沿った教科書で、時間割のスケジュールに乗せて、一斉に流し込んでいく。それも、上意下達、全国一律に――これが日本の戦後教育の一貫したあり方でした。

それによって、個性的ではないけれど、一定の知識を身につけた「労働力」が大量に生み出され、ブルーカラーやホワイトカラーになって、産業社会を発展させる原動力の役目を果たしてきました。その点は否定できません。

しかし、これからますます高度化する産業社会(これを「ポスト産業社会」という人もいます。ポストとは「後」の意味)では、そのような規格化された労働力(産業予備軍)を産み出し、動員を図る必要性は弱まります。

工場はコンピューターでどんどん自動化され、インターネットによる合理化はますます進展し、出る幕自体がなくなっていくからです。

酷な言い方になりますが、他人と同じ知識のパッケージ、詰め合わせセットしかない持たない(あるいは、それすら持っていない)人の存在価値は、今後さらに軽いものになっていくでしょう。

では、どうしたらいいのか?

フリースクールの世界的なモデルのひとつとして、米国サドベリー・バレー校(Sudbury Valley School)が有名です。このスクールの指導者、ダニエル・グリーンバーグ(Daniel Greenberg )博士という教育者です。

ダニエル・グリーンバーグ博士はもともと、理論物理学者です。これまでのインタビューで、以下のような哲学を語っています。

参照:https://web.archive.org/web/20110510143344/http://www.ait.net/technos/tq_10/1interview.php

グリーンバーグ博士は、まず、「複雑系」の理論を援用しつつ、既成の機構に人をはめ込む規格の時代は終わりだと語っています。

これからは個々人が自由に学び、思い思いに生の軌跡を描きながら、他者と結びつき合って多様な社会とともに歩んで行く必要性を強調しています。

そうした「自由な学び」を通じて初めて、子どもたち個人の可能性が、社会の力として実現しうるのだと言うのです。

子どもたちの好奇心が求めるものと、新しい時代が求めるものが、ぴたり一致する場。自由な学びを通して、社会の未来が切り拓かれるところそれが、新しい学びの場であるのです。